宇宙の愛のメッセンジャー恭子です。
自由になったようでまだ自由でなかった。
会社を辞めて自由になったのですが、色々なものに囚われていて
本当の意味でまだ自由じゃなかった事に気が付きました。
もともと、自分に自信をつけるために、資格などを取ることが好きな
私ですが、会社を辞めた後は職業訓練などのカリキュラムを受講して
CGクリエイターのスキルを身に着けようと思っていました。
いざ、選考試験へ行ってみると定員18名に対して50名の応募人数がいました。
受かるんじゃないかなあと楽観的でしたが、結果は合格にはいたりませんでした。
すごく、残念に感じると思いきや、9時から4時まで月~金まで大変だったよな。と
なんだか、気が楽になってしまったのでした。
根っこの部分では本当はもっと自由でいたかったんだなあと気が付きました。
でも、今まで20年以上サラリーマン生活をしてきて、何か生産的なことをしなければ
ならないような気持ちでいたりして、何か資格など取得して、日々を無駄にしないように
というような焦りの気持ちがなかなかぬぐえませんでした。
何か生産的なことをしていなければならないという観念。
何か実になることをしないといけないような気持ちになっているけど、それも本当は
思い込みだった。自分が存在するだけで素晴らしいし、今までの観念に囚われない
世界ってあるよなって感じていて、働いていようが働いていまいが自分の存在は
なんら変わらない、素晴らしいものである。そういう世界もある。
人は信じたいことを信じているし見たいものを見る。
私の日常はもっと自由でハッピーであって良い。私は色々なものに未だ囚われている。
本を読んで知識を増やしたり、資格を取ってすごい自分になりたかった。
本当は知識があろうが無かろうが資格があろうが無かろうがすごい自分だ。
素晴らしい自分だ。ハッピーな自分だ。自由な自分だ。
これらに気が付かなければ働きに出ずにはいられない。
すごい自分を証明するために働く。
働いている自分は誇らしかった。でも本当は働いてない自分も誇らしいはずだ。
社会や会社という枠組みに囚われていたと思う。
その中で正しいとか仕事が出来るとかそういう事を追求してきたかもしれない。
もちろんそれ以外もお客様や同僚とのふれあいや好きな家づくりというものに
携わる楽しさや誇りとか色々あったけど、
枠組みには囚われていた。今、そこから自由にはなった。
でも、まだまだ幻影が見えて
色々囚われている自分なのだと改めて感じた。
私はもっともっと自由になれる。素晴らしい。